妹が遊びにきた。
妹は花もはじらう17歳だ。とっても魅力的なのに、妹は自分の魅力をわかっていないところがザンネンだ。
私の部屋に入るなり、妹はずーっと
「どうやったらみんなみたいにかわいくなれるのだろう?」
ということを言い続けていた。
私も自分の容姿に自信がある方ではないので、聞いてるだけでめまいがしてしまった。
とあるサイトのTシャツのページを見て、
「この黒いTシャツなら、おしゃれっぽく見えるかもしれない」
という妹。
私が、
「?おしゃれに見える服?じゃなくて、?自分が着たい服はどれ??」
と訊いたら、妹は、うーん、難しい…、と悩んだ後、
「これかなぁ」と赤いTシャツを指差した。
『本当は“赤いTシャツ”を着たいけれど、“黒いTシャツ”の方がみんなにかわいいと思ってもらえるだろうから、“黒いTシャツ”を着よう。』
と考えたのだろう、妹はきっと。
人に認めてもらおう、人に評価される服を着よう、と思っているうちは、どんなにキレイな服を着ても、自分ひとりでは満足できないと思う。誰かに、
「それ、オシャレだね!」と言ってもらわないと安心できなくなってしまう。
そして、もし仮に「オシャレだね!」と世界中の人に言ってもらえたとしても、自分が本当に着たい服を着ているわけではないので、空しさはずーっとついてまわるだろう。
ということを妹に言いたかったのだけど、うまく言えなかった…。妹がいつかそのことに気づく日がくることを祈っている。
なーんて言いながら、私もコンプレックスの塊だったりするんだよなぁ。
私の場合、メイクや髪型を整えるのが下手っぴなんだよな。誰か教えてくれー。みんなよくもまぁ毎日キレイに整えていられるよなぁ。
妹は「みんなの悩みを聞いても、“私の方が頑張ってる”って思うさー」と言っていた。
確かにそうだろう。妹は不登校になったこともあったし、抜毛症で髪の毛が生えなくて、ほんの数ヶ月前まではカツラで生活していたのだ。最近ようやく地毛がしっかり生えてきたけれど。
そんな話を聞きながら、私は自分のことを思い出してしまった。
私が学生だったとき、妹が不登校に悩んだり、姉が会社で苛められて自殺未遂をしたりしていた。
ちょうどそういう時期に父の会社は倒産したり、やっと入って安定したと思った会社でリストラされたり、私の青春時代の家庭はなかなか波乱に富んでいた。
そういう家庭を支えてボロボロになっていたのが母親だった。
そして、その母を支えていたのが私だったと思う。私がいなかったら、母は倒れていたんじゃないかな。
で、私はというと、学校では友達とうまくいかずに孤立していた。
中2、中3のときはクラスで一人も話の合う人がいなかったし、高校では仲間はずれにされたり、先生に無視されたり、クラスの中では自分の居場所がほとんど見つけられなかった。
いつも「あと○年△日で卒業だ…」と指折り数えながら無理して学校へ行き、親に心配かけないよう、学年で1番という成績をキープしようと頑張っていた。
そういうしがらみからやっと開放されて、平和で楽しい短大ライフを送っていた。
にもかかわらず、私が高校のときから悩んでいた不眠は解消される気配がなかった。ちなみに、短大に通っていた半年間、一度も生理が来なかった。
それでも元気に短大に通っていたはずの私が、なぜかだんだん、人の目線が怖いと感じるようになった。笑い声が、自分のことを笑っているように感じ、ヒソヒソ話は自分の悪口を言っているように聞こえるようになった。
そんな挙動不審の私を見た同級生たちは、次第に私から離れてくようになった。友達だった人も、本当に私の悪口を言うようになり、離れて行くようになった。
私が大好きだった、あの女の子も離れていった。
学校を辞める直前の、あの子が私を見る怯えたような、見下したような目。そして、私を露骨に避ける様子は、思い出すだけで胸が苦しくなる。しかし私は未だにあの子への想いを完全に断ち切ることができていない。
そんな私はある日、お腹が痛くなって学校に行けなくなってしまった。
「お腹が痛くなって学校に行けなくなるなんて、まるで小学生みたいだ」とかなり傷つきながら実家に戻り、毎日「死にたい。誰か私を殺して。世界中の人はみんな敵だ」と思いながら引きこもる生活を数ヶ月続けた。
妹はたぶん、私がこのようなことを胸のうちで考えながら生活していたことは知らない、と思う。
そういう過程で私は“癒し”というものについて興味を抱くようになった。
放送大学の心理学の授業を片っ端から受けて、単位も獲得した。
カウンリングについての勉強もした。
アートセラピーについて学んでみた。
でも、どれも微妙に「違う」という気がしていた。なんというか、表面を撫でていて、本質とは微妙にズレた分析をしているような感覚だ。
心理学の本では“癒し”について、「かなり大変で難しい」という表現をしていることが多い。
だけど、今の私から言わせると、“癒し”というのはとてもシンプルなものだと思う。
本気で自分と向き合う勇気が必要なだけなのだ。
“自分と向き合う”ということがどういうことなのか、その本質が淡々と書かれた本が、この“7つのチャクラ”だと思う。
精神世界に興味のない人も、立ち読みしてみたらけっこう興味深いと感じる本だと思う。
妹は花もはじらう17歳だ。とっても魅力的なのに、妹は自分の魅力をわかっていないところがザンネンだ。
私の部屋に入るなり、妹はずーっと
「どうやったらみんなみたいにかわいくなれるのだろう?」
ということを言い続けていた。
私も自分の容姿に自信がある方ではないので、聞いてるだけでめまいがしてしまった。
とあるサイトのTシャツのページを見て、
「この黒いTシャツなら、おしゃれっぽく見えるかもしれない」
という妹。
私が、
「?おしゃれに見える服?じゃなくて、?自分が着たい服はどれ??」
と訊いたら、妹は、うーん、難しい…、と悩んだ後、
「これかなぁ」と赤いTシャツを指差した。
『本当は“赤いTシャツ”を着たいけれど、“黒いTシャツ”の方がみんなにかわいいと思ってもらえるだろうから、“黒いTシャツ”を着よう。』
と考えたのだろう、妹はきっと。
人に認めてもらおう、人に評価される服を着よう、と思っているうちは、どんなにキレイな服を着ても、自分ひとりでは満足できないと思う。誰かに、
「それ、オシャレだね!」と言ってもらわないと安心できなくなってしまう。
そして、もし仮に「オシャレだね!」と世界中の人に言ってもらえたとしても、自分が本当に着たい服を着ているわけではないので、空しさはずーっとついてまわるだろう。
ということを妹に言いたかったのだけど、うまく言えなかった…。妹がいつかそのことに気づく日がくることを祈っている。
なーんて言いながら、私もコンプレックスの塊だったりするんだよなぁ。
私の場合、メイクや髪型を整えるのが下手っぴなんだよな。誰か教えてくれー。みんなよくもまぁ毎日キレイに整えていられるよなぁ。
妹は「みんなの悩みを聞いても、“私の方が頑張ってる”って思うさー」と言っていた。
確かにそうだろう。妹は不登校になったこともあったし、抜毛症で髪の毛が生えなくて、ほんの数ヶ月前まではカツラで生活していたのだ。最近ようやく地毛がしっかり生えてきたけれど。
そんな話を聞きながら、私は自分のことを思い出してしまった。
私が学生だったとき、妹が不登校に悩んだり、姉が会社で苛められて自殺未遂をしたりしていた。
ちょうどそういう時期に父の会社は倒産したり、やっと入って安定したと思った会社でリストラされたり、私の青春時代の家庭はなかなか波乱に富んでいた。
そういう家庭を支えてボロボロになっていたのが母親だった。
そして、その母を支えていたのが私だったと思う。私がいなかったら、母は倒れていたんじゃないかな。
で、私はというと、学校では友達とうまくいかずに孤立していた。
中2、中3のときはクラスで一人も話の合う人がいなかったし、高校では仲間はずれにされたり、先生に無視されたり、クラスの中では自分の居場所がほとんど見つけられなかった。
いつも「あと○年△日で卒業だ…」と指折り数えながら無理して学校へ行き、親に心配かけないよう、学年で1番という成績をキープしようと頑張っていた。
そういうしがらみからやっと開放されて、平和で楽しい短大ライフを送っていた。
にもかかわらず、私が高校のときから悩んでいた不眠は解消される気配がなかった。ちなみに、短大に通っていた半年間、一度も生理が来なかった。
それでも元気に短大に通っていたはずの私が、なぜかだんだん、人の目線が怖いと感じるようになった。笑い声が、自分のことを笑っているように感じ、ヒソヒソ話は自分の悪口を言っているように聞こえるようになった。
そんな挙動不審の私を見た同級生たちは、次第に私から離れてくようになった。友達だった人も、本当に私の悪口を言うようになり、離れて行くようになった。
私が大好きだった、あの女の子も離れていった。
学校を辞める直前の、あの子が私を見る怯えたような、見下したような目。そして、私を露骨に避ける様子は、思い出すだけで胸が苦しくなる。しかし私は未だにあの子への想いを完全に断ち切ることができていない。
そんな私はある日、お腹が痛くなって学校に行けなくなってしまった。
「お腹が痛くなって学校に行けなくなるなんて、まるで小学生みたいだ」とかなり傷つきながら実家に戻り、毎日「死にたい。誰か私を殺して。世界中の人はみんな敵だ」と思いながら引きこもる生活を数ヶ月続けた。
妹はたぶん、私がこのようなことを胸のうちで考えながら生活していたことは知らない、と思う。
そういう過程で私は“癒し”というものについて興味を抱くようになった。
放送大学の心理学の授業を片っ端から受けて、単位も獲得した。
カウンリングについての勉強もした。
アートセラピーについて学んでみた。
でも、どれも微妙に「違う」という気がしていた。なんというか、表面を撫でていて、本質とは微妙にズレた分析をしているような感覚だ。
心理学の本では“癒し”について、「かなり大変で難しい」という表現をしていることが多い。
だけど、今の私から言わせると、“癒し”というのはとてもシンプルなものだと思う。
本気で自分と向き合う勇気が必要なだけなのだ。
“自分と向き合う”ということがどういうことなのか、その本質が淡々と書かれた本が、この“7つのチャクラ”だと思う。
精神世界に興味のない人も、立ち読みしてみたらけっこう興味深いと感じる本だと思う。
コメント